データ消失(;;)

外付けHDDのデータ不良。
先週末に読み込めないファイルが出てきて、
おかしい・・・
と思っていたところ、この2,3日でHDDから異音。
実は我が家は外付けHDDと同じHDDをバックアップ用に
作っており、三ヶ月くらい前のものは残っていた。
そのバックアップはLinux用のext3でフォーマットされていたので、
とりあえず、HFS+にフォーマットして、吸い上げをするところが、
フォーマット直後に外付けHDDが認識しなくなる。
今まで二重でバックアップしてきたのに、
その巻き替え準備中に飛んでしまうとは、
ほんとうに最悪のパターン。
とりあえず、手作業で優先データを吸い上げ、
最後はCCCでできだけバックアップ。
なんとかほとんどのデータを救出できた。
今後はバックアップの体制を考えないと・・・。
大容量HDDおそるマジ。

mondoのイメージをVirtualBoxで

やはりというか・・・
簡単にはできないです。
mondoがイメージとして出力した、ISOファイルを、
VirtualBoxにかませて、同じ環境を作れないか・・。
ファイルをそのままアーカイブしているはずなので、
できそうな気がするが、やはり展開するマシンイメージが
違うのか・・、うまくいかないです。
さくらはKVM上の仮想化ですし。
でも、心の中では、できそう・・と思っているので、
また来週も引き続きがんばってみたいです。

東日本大震災の犠牲者の方へのお悔やみを申し上げます

昨日の大地震、大阪市内でもかなり大きな揺れがあり、
ネットを見ると、東北地域での大きな地震があったとの速報が流れた。
東北での地震で大阪があんなにゆれるはずがない・・と思っていた。
しかし、それから時間が経つにつれ、被害の大きさ、地震の大きさが、
判明してきた。
今、ここでなにもできない自分がもどかしい。
犠牲者の方へのお悔やみと、負傷者、被災者の方へのお見舞いを
申し上げます。

骨髄ドナーになる(DLI-1)(1年半ぶりの骨髄バンクからの連絡)

正月休みがあけて、ほっと一息ついた週末金曜日、
骨髄提供から、1年半ぶりに骨髄バンクコーディネーターの方から連絡が入った。
提供した相手方から、ドナーリンパ球輸注療法(DLI)の要請があったとのこと。
提供から1年半が過ぎ、日々の生活を送るうちに、自分が骨髄提供したことさえも忘れかけていた。
その間も、提供した相手方が病気と戦い続けていたことを思うと、移植後にごく普通の生活に
甘えていた自分が恥ずかしくなった。
DLIのための血液提供の為には、検査と採血の2回の休暇をとる必要がある。
仕事が繁務で周りに迷惑がかかることは百も承知であるが、上司に相談し、
快諾を得られた。
できれば1月中に提供して欲しいということなので、
再来週に検査、翌週くらいに採血の予定を組む。
検査、採血のできる医療機関は、近畿で3つしかない。
現在の勤務先は大阪市内なので、大阪の赤十字病院で採血してもらえるように伝えた。
内容は前回の提供に引き続き、こちらのBlogにUPしていきます。
ドナーを考えられている方などの参考になればと思います。
なお、骨髄移植関係の記事は、右のカテゴリーで「骨髄ドナー」を選んでいただければ、
骨髄提供の時の内容が見れます。
私も先ほど見直して、「こんなことしてたのかぁ・・」と、
思い出しておりました。

MacのX11サーバからLinuxに接続

先日、我が家のディスプレイを買い換えたことを書いた。
Macは当然に自動的に認識し快適に使え、Linuxはドライバがクラッシュし、
1280×1024までしか使えない状態にあった。
ディスプレイを買い換えた目的は、分析用の画面が手狭になったので、
広く使えるようにすることであった。
MacのOpenOfficeは遅くて使えず、Linuxは画面が小さく使いにくい状況で、
目的を達成することができない状況を打破するためには、
・Linuxのビデオカードを追加する
・ソフトでなんとかする
しかない。
これ以上この時期に安いビデオカードとはいえ、3000円もの投資をすることはできず、
なんとかソフトサイドで解決できる方法を考えないといけない。
もう一つ以前から気になっていたのは、MacとLinuxをキーボードモニタ切替機で
切り替えをしているが、もっとシームレスな環境を作りたいと思っていた。
今日、散歩していると、ふと、
「MacからX11でlinuxに接続すればMacの解像度でLinuxが使え、しかも操作を
シームレスに行えるのではないか」
と、思いついた。
家に帰り早速試してみる。
LinuxのCentOSのdom0はX11の接続を許可している。
Macからは普通にXで接続すれば良い。
/usr/X11R6/bin/X :1 -query dom0
あっけなく接続OK!!
ただ、
Xウィンドウのキーボード設定が現在のGNOMEの設定と異なります。
model”pc101″layout”US”and no optinを想定していましたが、次の様な設定を検出しました。:
model”pc105”、layout”US” and no option
どちらの設定を利用しますか?
  「Xの設定」  「GNOMREの設定」

などとたわけている。
そんなもんキーボードはusの105にきまっとる!
・・・
キーボードレイアウトがおかしく、文字がでない。
ちゃんと設定できているはずなのに・・
と、本来のLinuxに戻ってみると、
「その結果は再起動したのち 以下のメッセージが出ました。
XKB の設定を有効にする際にエラーが発生しました。
この問題は、いろいろな状況に依存して発生します:
– ライブラリ libxklavier のバグ
– Xサーバのバグ (xkbcomp、xmodmap コマンド)
– 実装で互換性のないライブラリ libxkbfile を使ったXサーバ
Xサーバのバージョン情報:
The X.Org Foundation
10300000
この状態をバグとして報告する場合は、次の結果も追記して下さい:
– xprop -root | grep XKB の出力
– gconftool-2 -R /desktop/gnome/peripherals/keyboard/kbd の出力」

とのエラーがはき出されている。
そんなエラーは気にせず。
X11の設定
/etc/X11/xorg.conf
と、
Gnomeの設定
~/.gconf/desktop/gnome/peripherals/keyboard/kbd.sysbackup/%gconf.xml
を一致させるべく手で修正する。
と、このとき不用意にも、GnomeからとX11からと両方の画面から更新してしまい・・
Gnomeの設定が消えた・・(;;)
まーいちから作ってもいいや・・と、X11からの接続をする。
なぜか設定ファイルが作られている。
しかもGnomeから引き継いだ正しい設定が・・
結局、ファイル消せばよかったのか(–;
(たぶん良くないです・・真似しないでくださいね)
と、いうことでかなり快適に作業ができるようになりそう。
そうそう、MacからX11で接続すると、他の窓との連携がうまくいかないので、
VirtualDesktopでデスクトップを切り替えています。

証拠金7割飛ぶって・・

前回の書き込みは10月15日。
金額は小さいながらも連勝を続け、元の証拠金は倍位になり、
当面の目標である30万までも、現実的かと思っていた。
そのおごりから、いったん止めたシステムを、
Blog更新後に起動してしまう。
当然、夜中になってしまうので、そのまま就寝・・・。
・・・・
朝起きると信じられない金額が画面に表示されていた。
「残 70,000」・・・
寝る前は20万近くになっていたはずの証拠金が、
寝ている間に、7割も減っていいる・・。
と、いうか3分の1である。
さすがに冷や汗が出て、前日の夜の起動を後悔する。
仕掛け中の玉を全部手で決済し、仕事に向かう。
通勤時間、休み時間に、今回の失態について考える。
3ヶ月分の小遣い・・と思うとなかなか冷静には考えられない。
やっと冷静になれたのは、帰宅後に前日の動きとシステムの挙動、
シミュレーションの結果などを分析してからである。
通常の時に一回(一連)の取引でこれだけの金額を失うことはない。
ただ、チャートを見てみると、今のシステムではどうしょうもないことがわかる。
この指示を作ったのは紛れもなく自分であった。
今回のことで、いろいろと考えた。
結果、いくつかのことに気づくことができた。
・シミュレーションのドローダウンはあくまでシミュレーション
・システレは連続して稼働させて初めてパフォーマンスが測定できる
・もっと資金管理をきっちりする
それと、もう一つ
・シミュレーションを繰り返し、その検証から学ぶことと、
 実際のシステム稼働から学ぶことは、全く違うものである。
と、いうこと。
未熟なシステムでも稼働させることで、大切なことを学ぶことができます。
そんな反省から、取引の状況をメールで携帯に配信するようにシステムを修正。
証拠金の安全性を、証拠金の3割から5割に変更。
今日はそのシステムを稼働させ、出勤した。
結果は以下のとおり。
15日 +13,200円 → △92,600
16日 +700円(40回位は取引してます(^^;)
17日 +33,400円
なんとか証拠金も10万回復、来週は20万復活を目指します。

ドナーになる18(退院)

(退院)
● ○月○日(通知から99日目)
朝はいつもの血液検査などの検査をする。
今日の検査結果で退院が決定するので、ちょっと緊張する。
朝食は毎朝同じようにパン食。
朝のニュースを見る。
海外では大きな出来事が起こったようで、その話題ばかり・・。
横目で見ながら、片づけをはじめる。
旅行とちがい、行きも帰りも同じ分量の荷物なので、詰めるのは安心である。
ただ、帰りはこのリュックを担げる自信がないので、
家族に折り畳みのキャリアを頼んである。
10時前にコーディネータの方がきてくれる。
退院の手続きをしてくれたのかな。
10時過ぎに当直医師が来て、血液検査の結果を見ながら、
順調に回復しているとのコメントをもらう。
予定通りの退院許可が出た。
家族がまだ来ないのでしばし待機。
家族が来たので病院内を軽く案内し、11時に退院。
4日間、実質は3日程度の入院だったが、
今までに経験したことない入院、手術室、全身麻酔、病院食・・
いろいろな経験をし、いろいろと考えさせられた入院であった。
私の骨髄液を受けた相方は、点滴で身体に取り入れ、
骨髄液はちゃんと骨髄に漂着するそうです。
そこで、うまく種から血液ができるようになれば、
移植完了ということになります。
(実際はその前後でいろいろな処置や副作用などあります)
私には相方の病状を知るすべはありません。
きっとうまくいってくれた、と信じるしかありません。
がんばれよーー相方&My骨髄液!!

ドナーになる16(採取当日)

(採取当日)
● ○月○日(通知から97日目)
午前6時過ぎに目が覚める。
寝不足からか頭がすっきりしない。
飲み物も飲めないのでニュースなどを見て時間をつぶす。
手術用の寝巻きに着替える。
緊張が高まる。
口内があまりに渇くのでうがいをする。
午前7時、血液採取や血圧測定など。
午前8時45分、いよいよ手術室へ行く、手術室の待合には、
他に数人の患者さんが手術を受ける準備をしている。
当然であるが、みんな手術なので、元気いっぱいな人はいない。
IDベルトを、いろんなところで何度かスキャンされながら、手術室に入る。
見渡すと医療機器で埋め尽くされている。
手術台に横になる、保温用のシーツが掛けられる。
手術着を脱ぎ、パンツ一枚になる。
点滴用の管、血圧測定用のベルト、心電図用のパットなどが取り付けられていく。
口には酸素吸入用のおわん(?)が押し付けられる。
思わず息苦しさにはずしてしまう。
深呼吸し落ち着いたところで、再度つけてもらう。
周りには10人くらいの医師らが取り巻く。
緊張がピークに達する。
脈拍数は150という声が聞こえる。
「今から麻酔を入れます」という声が聞こえる。
麻酔を入れて、数秒間、まったく眠くもならずに、天井を見つめる。
ほんとに麻酔が効くのだろうか。
足の先がしびれてきた・・・
「聞こえますか。目を開けてください。腕を動かしてください」
という声が聞こえる。
(麻酔って少しずつ効くと思ってましたが、いきなり効くんですね。)
声は聞こえるが、意識ははっきりしない。
初めての経験である。
言われていることはわかるが体が動かない。
「無事手術は終わりました。今、11時です」という声。
肺への管が挿入されたはずだが、すでに抜かれている。
変わりに喉が激しく痛い。
風邪ひきの後のようである。
そのまま、自分の病室に運ばれるらしい。
ガタゴトと揺れる、自分の部屋に戻ってきた。
まだ、意識がはっきりしない。
腰が痛い・・(当たり前だけど・・)
献血用の針より一回り太い針で指したらしい。
担当医が来て、説明を受ける。
骨髄の細胞は充分に採取できたということである。
右の皮膚に2箇所、骨髄へは5箇所。
左の皮膚に1箇所、骨髄へは5箇所。
で、採取できたようである。
場合によっては、もっと多くの穴をあけると聞いていたが、
それよりも相当に少ない穴ですんだようである。
今頃はすでに韓国の病院に空輸され、相方に注入されているかな・・
という思いがよぎる。
眠いのでとりあえず寝る・・
昼過ぎに家族が見舞いにきてくれる。
やはり、家族でないとなかなか頼むのも頼みにくいので、
きてもらって助かる。
回診で飲み物を取れると診断を受ける。
とりあえず、喉が渇いているので炭酸をぐびーっと飲みたい。
と、いうことで炭酸をぐびーっと飲む。
1時間後、激しく気分が悪くなり、吐き気と下痢でひどいことになる。
原因は間違いなく炭酸(^^;
もともと、おなかが弱いのに無理をしすぎたと反省。
全身麻酔でおなかの動きが鈍くなるらしい。
夕食は許可は出ていたが、辞退することにする。
午後8時、家族からの電話があり、気力が復活する。
夜の9時なって少し小腹がすいたので、病院地下のファミマに行く。
具の入っていないパンを買い、少しずつかじる。
雑誌などを読みつつ11時半位に就寝する。

ドナーになる8(最終同意)

(最終同意)
● ○月○日(通知から48日目)
この最終同意は、今回の手続きの中で唯一血を抜かれないので、少しうれしい。
逆に他の手続きでは、全て血を抜かれます。(^^;
コーディネータから家族への説明があり、専門的な説明を医師から受ける。
また、専門的な質問も聞いてくれるので心強い。
ここでも、リスクに対する説明が中心となる。
同意書にはいろいろな条項があるが、早い話「なにがあっても文句言いません」
と、いうことである。
これは普通に病院で手術を受けるときでも同じであろうが、
ちょっと、引いてしまう。
ただ、これにサインしないと先にも進まないので、サインをする。
この手続き以降は、手術する病院で検査等を進めることになる。
通常は家の近所での入院になるようであるが、今回は国際コーディネートと
いうことで、国際空港への搬送時間の制限などもあるようで、
大阪南部が候補の中心となるらしい。